不登校だった僕

不登校だった僕が不登校になったキッカケと今思うこと。

いじめの定義を考える

今の社会ではいじめが問題となっており、様々なニュースが飛び交っています。

特に多く取り扱われるのが不登校や引きこもりの問題だったり、いじめが原因で自殺をしてしまったり、いじめがあって問題が発生した場合です。

 

では、いじめとはなんなのか?

果たしてどこからがいじめになるのか?

 

今回のブログではいじめの定義を考えていこうと思います。

 

 

いじめの定義

f:id:hutoukouneet:20190901143157j:plain


一般的には精神的苦痛、肉体的苦痛を継続的に与えたり、故意に人を傷つけたりと言った印象ですが、

いじめの定義というのは正直難しいところがあります。

人によって物事の良し悪しがあり、許容範囲も様々です。

 

極端な話、人によっては屈辱的な事でも、あるの特定の人には喜ばれたり、気にしなかったりします。

 

それは大人になれば尚更、人によって感じ方が様々になります。

 

僕も現在、過去に嫌だった事を今されても特になんとも思わないことはいくつかあります。

 

それはいじめの中で併用してされていたので、いじめの1部として捉え、嫌だった可能性もありますが、人によっていじめと捉えるか、いじりと捉えるか、挨拶と捉えるかは様々です。

 

何処からがいじめ?

上記でも説明したように、いじめの線引きというのはとても曖昧です。

 

人によってはイジりであったり、普段の何気ないことであることもいじめになったりします。

 

 

例えば、毎回会う度に肩を小突く人がいたとします。

 

小突かれる側も挨拶だと認識し、なんとも思っていなければいじめではありません。

 

小突かれる側が、嫌だと感じ、それを相手に伝えることでそれが無くなれば、それもいじめではありません。

 

しかし、相手に伝えたにも関わらず辞めない場合や、言われたことにムカついたり、面白がって「肩を小突く」から「肩を殴る」へエスカレートした場合はどうでしょうか?

 

これは僕はいじめに入るかと思います。

 

 

ある日から突然殴られるようになったり、ある日から突然無視されたり、嫌がらせを受けていれば、例えそれを口に出して伝えていなくても、本人が嫌だと思っていればいじめになります。

 

 

なので、口で伝えようが伝えまいが、いじめ全体での線引きを考えれば、

イジメになるものはなるし、ならないものはなりません。

 

あいさつ程度に肩を小突かれて

嫌がっていても伝えなければ、相手は気付かない

このような場合は、いじめと呼べるのかも不明ですし、

 

ある日突然殴られる日々が始まり、確実に嫌がっている事が相手も分かって居るけれど伝えていない。

このように、伝えてない場合でもいじめにならない訳ではありません。

 

なので、僕が考えるいじめの線引きは、

される側が嫌がっているかどうか、また、

嫌がっていると予想出来る事を続けているかどうかだと思います。

 

自分が嫌だと思うことを人にはしない

という言葉もありますが、自分が嫌でないことでも他の人からすると嫌だったり

するので、最低限のいじめの発生防止にはなりますが

今回のいじめの線引きには適してないのかなと思います。

 

 

また、人の中には、自分がいじめられていると思いたくなくて、

どんなことを受けようが、自分にイジりだと認識させている人もいますが、

 

そういった場合の人でもいじめになると思います。

 

 

 

まとめ

 今回はいじめの定義について考えてみました。

 

子供の頃は特に、されて嫌なことが多く、人にして良いことの判別も甘いです。

 

「子供のすることだから....」

この言葉も理解できなくはないです。

 

失敗できる環境で失敗して学んでいくものだからです。

 

ただ、いじめている人間は大人にばれたら良くないことと認識した上で、

いじめています。

 

さらに言えば、失敗して被害を受ける相手が大人だから、

「犯罪」を子供がした失敗として許してくれていいるだけです。

 

 

同年代に対して、大人にばれたらいけないと認識しながら継続的にしているのは

失敗と言えるのでしょうか?

 

 

失敗を許してもらうことで「犯罪」でなくしてもらえているだけなので

許してもらえなければ犯罪ですし、認識しても繰り返すのは確信犯です。

 

 

 

いじめを黙認している親や学校は、自分の子供が犯罪を犯しているということ、

訴えられて不名誉が世の中に知れ渡る可能性があることも認識して置いてくださいね。